憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第十一回

かな書

【読み】
夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや

[万葉集 巻四・502 柿本人麻呂]

【意味】
夏の野をゆく若い牡鹿のはえかわる角のように、ほんのわずかな間でも、 妻の心を忘れることがあろうか 

[荒木 清著 万葉集が面白ほどわかる本より]

【解説】
万葉集に「鹿」を詠んだ歌が数多くあるが、角の生え変わる夏と妻を忘れない作者を並べ、生え変わるまでの角を「束の間」と時間に置き換える手法は見事というほかない


ペン書

【作品】
花は盛りに、月は隈無きをのみ見るものかは、雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほ、哀れに情け深し

[徒然草 百三十七段 その一]

【意味】
桜の花は満開の時、月は満月だけが、見るに価すると決め込んでしまってよいものだろうか。
そうではあるまい。雨が降っている時に、ああ、月を見たい と恋しく思い、病気で部屋に同じ籠もって外出できず、春景色の移ろいもわからない、といった状況でも月や花に憧れるその心持ちがかえって情緒深いのだ。

(島内裕子訳 徒然草より転記)

【解説】
この百三十七段は、徒然草のなかでも最も長文である。そのため何回かに分けて書くことにする。桜の満開や満月の時だけが、美しいのではない、その状況がかなわない時に、一番美しい場面を思い浮かべるその心が、より風情が感じられる。小気味の良い抑揚のある散文、兼好の筆が走る   


漢字書

【作品】
薬・苦

【読み】
くすり く

【解説】
漢字の文字数は、四万から五万字ある。もちろん消えてしまった文字もあるから正確にはわからないというのが答えだと思う。その漢字を分類する方法として「部首」による分類が一般に普及している。その部首のなかで一番多い漢字が、今回取り上げた「艸(くさ)」部だ。この「艸かんむり」は現在では「艹」と書く。漢和辞典で「艹」を探す時は「六画」でないと見つからない。「艸 艹」と表記され「艸」の六画で索引することになる。本棚に眠っている漢和辞典をたまに見るのも楽しいのではないか


色紙

【作品】
道徳は常に古着である

【意味】
道徳とは、着古した服のようなもの

【解説】
芥川龍之介の「侏儒の言葉」の名言集の一片です。高まりゆく軍国主義の中、彼自身の鋭い感覚で、なにか思うことがあったのでしょう。
この名言は、読む人によって「解釈」が違うような気がする。私自身うまく心の中で整理し、文字として記すことはできないが、ここに取り上げてみたの には、印象に残った言葉の一つだったから


条幅

【作品】
獨坐幽篁裏 弾琴復長嘯 深林人不知 明月来相照

【読み】
独り坐す 幽篁の裏 琴に弾じ 復た長嘯す 深林 人知らず 明月来って 相照らす

【意味】
ただひとりひっそりとした竹林のなかに坐って、琴を爪弾き、また声を長く引っぱって歌う。人は知らないだろうが、この深い林のなかでは、月の光が訪れてわたしを照らしてくれるのだ

(岩波文庫 中国名詩編 松原茂夫編)

【解説】
盛唐を代表する漢詩人の一人、王維の詩を書きます。王維は熱心な仏教徒だったため「詩仏」ともよばれ、自然の中を歌った詩を多く残している。
特に、この「竹里館」は夏目漱石が「草枕」で絶賛している漢詩です。
行書を中心に、静寂感をもたせた書きぶりにしました


篆刻

【作品】
若烹小鮮

【読み】
(大国を治るは)小鮮を烹(に)るが若(ごと)し

【解説】
老子の言葉。大国を治めるには、小魚をやたらと突いてはならない、形や味が落ちるから。というのだが、最近ブログやツイッターの炎上など見ていると、些細なことで突きあっている。島国根性まるだしの品性のないやりとり国会から小学生にいたるまで、この老子の言葉をかみしめ、もっとおおらかに、大局的に物事を見ることが肝要と思うのだが


第十一回ギャラリーを書き終えて

漢字は「へん」と「つくり」などから構成されている。漢字の分類を「説文解字」という字書で文字の成り立ちから象形・指事・形声・会意・転注・仮借(これを六書という)。形(文字の一部)から部首で索引出来るよう工夫しています。
漢和辞典では「部首索引」が主であるが、慣れないとなかなか難しく、戸惑う。
たとえば「亜」(あ)を索引しようとすると「二 部」で探さないと出てこない
「愛」(あい)は「心 部」というように、少し慣れないと探すのにイライラする。最近「電子辞書」なるものが出て、それなりに便利だが、辞典の良さは、寄り道にある。どこにどこにとめくっていくと、何と“こんなところにこのような説明が出ている”という新発見(寄り道効果)があり、得した気分になる。これが紙本辞書の面白い所だと思っています。

平成27年5月31日