憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第十三回

かな書

【読み】
我が屋戸(やど)のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも

[万葉集 巻十九・四二九一]

【意味】
わが家の庭のわずかな竹群を、吹き抜ける風のかすかなこの夕べであることよ

[万葉集 多田 一臣著より]

【解説】
大伴家持の代表作「春愁三首」の二首めに位置している。この作品が歌われたのが、歴史上有名な東大寺の「大仏開眼」が行われた時期にあたる。しかし家持は一首も、その行事の歌は残していない。四百七十四首もの歌をのせている家持が、なぜ。
藤原家の栄華を横目に、大伴家の衰えを感じながら歌った心境は。春愁三首の真の評価が認められたのは1900年に入ってからであった。


ペン書

【作品】
都の中に多き人、死なざる日は、有るべからず。一日に、一人二人のみならんや。鳥部野・舟岡、然らぬ野山にも、送る数、多かる日は有れど、送らぬ日は無し、然れば、棺をひさく者、作りて、打ちおく程、無し。若きにも困らず、強きにも困らず、思ひかけぬは、死期なり、今日まで逃れ来にけるは、有り難き不思議なり。暫しも、世を長閑には思ひなんや。

[徒然草 百三十七段 その三]

【意味】
都にいる人は多いが、誰一人死なない日というのは、あるはずがない。しかも一日につき、一人、二人だけで済むだろうか、そうはいかない。死者を火葬にする鳥部野や舟岡、さらにはそれ以外の野山でも、葬送する死者の数が多い日はあるが、葬送者がいない日はない、だから棺桶を作る者は、作ってそのまま置いておく暇もなく、作るそばから、売れてしまう。若いからとか、体が頑強だからという理由は成り立たず、若くても頑強でも、思いがけずにやって来るのが、死の到来なのだ。今日までこうして、何とか生きてこられるのは、本当に滅多にない不思議なことである。これがこの世の現実なのだから、ほんのわずかな間も、のんびりとしておられようか。

(島内裕子訳 徒然草より転記)

【解説】
「花は盛りに、月は隈無きをのみ見る物かは」で始まる百三十七段の絵巻物的物語が、一転して死にたいする現実を直視した文に転化する。若さや、頑健さが保証されない死の到来を、兼好は冷静に観察し、そのことを「徒然草」に書き連ねていく。
彼の死生観を述べる文は以後の段にも続いていく


漢字書

【作品】
無 ・ 舞

【読み】
無 [ム・ブ ない] 舞[ブ まい]

【解説】
無という文字は、もともと「ブ」。神事の舞をまう舞台を意味する「ブ」という文字であった。しかし、舞をまう舞台は、何もない神聖な場所。そこで『なにもないと言う意味の「ム」』という文字にとって替られた。「ブ」は無に舞台を支える舛(あし)を付け「舞」と、新たな文字に生まれ替った。このように文字には時とともに変化し、生まれ替ることがある。まさに文字は生き物なのだ。


色紙

【作品】
寒菊も束ねる人もない冬の日

[室生犀星句]

【意味】
室生犀星の若き頃住んでいた下宿先にある句基より

【解説】
犀星が二十歳頃、私の住んでいる金石にある釈迦堂(現 海月寺)の二階に下宿し、金沢地方裁判所金石出張所で過ごした。その時、世話になったお鉄さんの死を悼んで詠んだ句が句基として残っている。
“冬の日”は素直に「ふゆのひ」と読むのでしょうが、金沢の冬はいったん荒れ出すと七日間も十日間も、うんざりするくらい続く。そこで独断で「冬の日(ひび)」と書いてみました


条幅

【作品】
江碧鳥愈白山青花欲然今春看又過何日是帰年

【読み】
江碧にして鳥いよいよ白く、山青くして花然(も)えんと欲す。今春みすみす 又た過(す)ぐ、何の日か是れ帰る年ぞ

(岩波文庫 中国名詩編 松原茂夫編)

【意味】
今年の春も、見る間に過ぎ去ってしまった。いつになったら故郷に帰れることか

【解説】
盛唐を代表する三大詩人の最後に、杜甫の詩を書きます。杜甫と言えば「国破れて山河在り」で有名な「春望」をはじめ、数多く日本人になじみの漢詩を残している。この詩は、764年成都の草堂に帰り、戦いの終るのを待っていたが、なかなか故郷に帰れない気持ちをたんたんと歌っています。
この「絶句」を、楷書で書いてみました。


篆刻

【作品】
猿楽

【読み】
さるがく

【解説】
平安時代の芸能。滑稽な物まねや言葉芸が中心。鎌倉時代に入って演劇化し、能と狂言となる  (新村 出編広辞苑より)
もうすぐ新しい年を迎える。干支は申。毎回“良い年でありますように”と願いを込めて彫っているが、だんだん嫌なこと(事件・事故も含めて)が増えてきているように感じる。あまり殺伐とした情報だけでなく、滑稽な話題を取り上げ、心やすらかな年になって欲しい。
「見ざる、聞かざる、 言わざる」が一番いいのかも


第十三回ギャラリーを書き終えて

11月14・15日と書展を開催しました。15日は“金沢マラソン”とぶつかり予想どおり、観覧者は少なめでしたが、その分14日は大勢の来客で大変なにぎわいになりました。この紙面をお借りして御礼申し上げます。
私は六作品を出展、内二点はこのHPで発表した課題を、展覧会用として新たに書き直しました。HPで毎回挑戦していることが、少しずつではあるが自分を変化させていく原動力になっていると信じています。さあ、いよいよこのHPも四年目に入ります。

平成27年11月30日