憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第二十回

かな書

【作品】
幾山河越えさり行かばさびしさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

[短歌 若山牧水]

【意味】
この先いくつ山や河を越えたらこの寂しさを果ててしまうような国に出会うのだろうか。それを求めて今日も旅に出るのだ

[小学館 古今和歌集 小沢正夫著より]

【解説】
11月の展覧会のかな書として、カール・ブッセ作上田敏の名訳「山のあなた」を書いている。その時ふと若山牧水の短歌を思い出し書いてみました。


ペン書

古事記  [神の名はカタカナで表記する]

【作品】
その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何か成れる。」とといたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合わざる處にさし塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何。」とのりたまえば、伊邪那美命、「然善けむ。」と答へたまひき。

【読み】
二神は、その島に天下りなさって、天つ神の神霊の依り憑く聖なる柱に適切なものとして予め選び定めておいた柱を立て、また、新婚用に建てる新室にふさわしいものと選び定めた広大な殿舎を建てなさった。そこで、イザナキの命は、その妻であるイザナミの命に、「あなたの体はどのように出来ていますか」とお尋ねになると、イザナミの命は、「私の体は、次第に出来上がっていって結局出来きらない所が一か所あります」と答えなさった。そこでイザナキの命が、「私の体は、次第に出来上がっていってその結果出来過ぎた所が一か所あります。だから、この私の体の出来過ぎた所をあなたの体の出来切らない所に差しふさいで、国土を生み創ろうと思います。そのようにして国土を生むことについてはどうでしょうか」とおっしゃると、イザナミの命は、「それがよろしいでしょう」と答えなさった。

[勉誠出版 古事記 緒方惟章訳を参照]

【解説】
いよいよオノゴロ島に降り立った男女の神がご結婚され、二人でどのようにして新たな国土を作ろうかと相談される場面。しかしこんなに詳しく書かなくてもさらっと書いても、と思うのは私だけでしょうか。我が祖先がいかにおおらかだったのかと改めて微笑ましく思います。


漢字書

三體千字文

【作品】
秋収冬蔵(シュウシュウ トウゾウ)

【意味】
秋には作物を刈り取り、冬にはそれを蔵に収める

【解説】
「蔵」の草書はなじみがないと思いますが、下部をどっしりとびくともしない蔵にしました。


色紙

【作品】
坐久成労(ざきゅうじょうろう)

【意味】
長いこと坐って疲れてしまうこと 説法の終わりの挨拶として、長い間お疲れ様でしたという意味にも使われる

【解説】
最近、一日の9時間から12時間座りっぱなしで仕事をしている。その時に出会った禅語である。禅の解説に「アーくたびれた」と書いてあり、今の私の率直な気持ちである。


条幅

【作品】
江山風月本無常主

【読み】
江山の風月には常の主は無く

【意味】
美しい山や川、そよふく風や月の光には定まった所有者はいないのだ

【解説】
その後「閑者便是主人」(心ののどかなる人が本当の風光を愛でる主人なのだ)と続く。最近の人間の自然に対するおごりが目に余っている。これが異常気象から猪、熊の被害の増大につながっている。心のどかな人、そういえば最近あっていない。


篆刻

【作品】
寂然不動(じゃくねんふどう)

【意味】
静かで動かない様子[座禅をしている時の様子]

【解説】
私の作品でなく愛用品を掲載しました。
禅語はとにかく奥が深い、そのまま受けとめるわけにはいかない。寂然と書いて、せきぜんと言うが、この場合じゃくねんと読む。物事しない静寂な様子。
そして、不動、まさに動かず。これでは座禅をしている様子と言われても、納得がいく。しかしこの喧騒な時代に静寂はあるか。悟りの耳をもって聞けば、幼児の声も自動車の音も寂静(じゃくじょう)そのものである。


第二十回ギャラリーを書き終えて

お知らせ
11月11日(土)から12日(日)の2日間は「溪風書会北陸書展」を開催します。前回の溪風書道会は会長の死去に伴い閉館。そこで有志による溪風書道会を発足しました。その第一回目になります。なを「併設 追悼展宮本溪風の書」もお楽しみ下さい。

平成29年9月1日