憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第十七回

かな書

古今和歌集

【作品】
やまと歌は ひとの心を種として 万(よろず)の言の葉とぞ成れりける

[古今和歌集 仮名序]

【意味】
人の思うところは、ちょうど植物の種子のように地面の中にあって外から見えないのであって、この種から芽が出て地表に表れたものが和歌なのである。

[放送大学教材 文献学 杉浦克己著より]

【解説】
四年間万葉集から題材を取り上げてきました。五年目を迎え「古今和歌集」など古典を代表する和歌を紹介していきたいと思っています。
今回紹介するのは、古今和歌集の紀貫之「仮名序」の書き出し部分、和歌集を編集するにあたり、彼の並々ならぬ心意気・高揚感が伝わってきます。
平安時代に漢字を基に日本独自の文字 仮名が出来、和歌の表現や心情の描写が飛躍的に拡大しました。そんな楽しみも今後伝えていければと思っています。


ペン書

古事記  [神の名はカタカナで表記する]

【作品】
天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。 次に高御産巣日神(タカヒムスヒノカミ)、次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)。この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隠したまひき。
次に國稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)。次の天之常立神(アメノトコタチノカミ)、この二柱の神もまた、獨神と成りまして、身を隠したまひき。
上の件の五柱の神は、別天(ことあま)の神。

【読み】
天と地とが始まった時、高天の原に出現なさった神の名は、天上界の中心の主宰神としての天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。 次に高御産巣日神(タカヒムスヒノカミ)、次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)。この三柱の神は、男女の性をもつことのない神と成り、身を隠し現れることはなかった。
次に国土が水の上に浮いた脂(あぶら)のようであって、海月(くらげ)のように漂っている時に、葦の新芽のように萌えでるように、お生まれになった神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)。次の天之常立神(アメノトコタチノカミ)、この二柱の神もまた、男女の性をもつことのない神と成り、身を隠し現れることはなかった。
以上掲げた五柱の神は、天の神の中でも特別な神として、別天(ことあま)の神と申し上げる。

[勉誠出版 古事記 緒方惟章訳を参照]

【解説】
古事記の第一回目。序段を省略し「別天(ことあま)つ神五柱」から書き始めていきます。 高天原という場所に始めて三柱(神は柱という)の神が表れ、その後二柱の神が現れ、いずれの神も男女の性をもたない、しかも葦から萌え出るように現れた(生まれたのではない)という。おそらく神として存在するが、誰の目にも見えなかったいう。この回では高天原という五柱の神のいる世界が紹介され、以後壮大な歴史書いや歴史小説の幕が降ろされたのである。


漢字書

三體千字文

【作品】
天地玄黄

【意味】
天は黒く、地は黄色である

【解説】
「千字文」とは、中国の南朝時代に子供のための学習用の手本として作られた千字の文字。 「三體」とは書の楷書・行書・草書という書体のことである。
「天」は一画が長く、二画は短い。しかし書道では一画を短く、二画を長く書く場合がある。 そこで楷書は一画を長く、行書は一画を短く書きました。
文字はいろいろな時代の編纂を経て変化してきていることを知ってもらいたい。


色紙

【作品】
酒釣詩針

【意味】
酒は詩を生み出す針である(酒は詩を釣る針 この針は魚を釣る針のこと)

【解説】
酒飲みはあの手この手を使って、酒が最良の飲みもであると言い訳したがる。「酒は百薬の長」とは際たるもの。 適度に飲めばストレス等の解消につながり健康に良いという。しかし誰もそれを証明したものはいない。 この詩も、酒を飲めば素晴らしい詩が浮かんでくるという物書きの身勝手な言い訳だ。だが酒好きな私にとっては、どんなコトワザも納得できるのである。


条幅

【作品】
心清無炎暑端四居思渺然水雲涼自得窓下抱花眠

[芥川龍之介]

【読み】
心清ければ炎暑なし 端居思い渺然(びょうぜん) 水雲涼自得し 窓下花を抱いて眠る

【意味】
心清ければ、きびしい暑さであってもその暑さを感じない。居住まい正しく悠然と思いをめぐらしていると、大自然からの涼しさを感じ、窓の下に咲く花々の中に眠っているようだ。

【解説】
これは芥川龍之介の漢詩である。彼は35才という若さで亡くなった。
私が小説に出会ったのが芥川で、彼の「河童」か「鼻」だった定かではないが、その後彼の作品すべてを読んでいる。 現代というより過去の出来事、を短編で、切れあじ鋭く切り込む文章に酔いしれた感がある。彼の漢詩の師匠は夏目漱石と言われているが、この漢詩は素人目の私でもあまり出来のいい詩とは言えない。ただ彼も漢詩に興味があったということが、私にはうれしく、作品として取り上げました。
[「心清」を「心静」や「心情」と記している詩集がある。本作品は「心清」を採用しましたが、確たる理由はありません]


篆刻

【作品】
鳴吠

【読み】
めいはい

【解説】
鶏が鳴き、犬が吠える。平和な村里の様子をいう。平和を望んでいない人は誰もいないと思う。 しかしその方法や手段が全く異なっている。そのため不幸な人民が世界中に蔓延しだした。 平和の使者たるべき指導者に疑問が付きまとう人物が現れ、混乱に拍車をかけている。 独りよがりな繁栄を求めず、のどかな風景ある世の中を造って欲しいものだと願いを込めて印刻しました。


第十七回ギャラリーを書き終えて

五年目を迎え、「かな書」に古今和歌集等を、「ペン書」では古事記を、また「漢字書」には三體千字文と自分なりにリニューアルいたしました。一人でも見るだけでなく、書いてみようという方が現れることを願っています。
さる10月20日、40数年に渡り指導を受けていました溪風書道会会長宮本渓風先生が死去され、通夜・葬儀と一生懸命務めさせていただきました。先生のご冥福と祈り、御恩に対し、これから“書”で先生の精神を受け継いでいきたいと思います。

平成28年11月30日