憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第十四回

かな書

【読み】
うらうらに照れる春日に雲雀上がり情(こころ)悲しも独りし思へば

[万葉集 巻十九・四二九二]

【意味】
うららかに照っている春の日射しの中に雲雀が真一文字に翔け上がり、心は悲しいことよ、ひとり物を思うと

[万葉集 多田 一臣著より]

【解説】
世の中が幸せ色に染まっている中、ただ一人その色に溶け込めない自分がいる。まさに現代人の孤独感に通ずる和歌のようだ。どんなに時代が進み、牛車が自動車に、行灯(あんどん)が蛍光灯になったといえ、人間の心の中は千年前とほとんど変わらないのではなかろうか。だからそこに時空を超えた共感が生まれてくるのだと思う。


ペン書

【作品】
家にありたき木は、松・桜。松は五葉もよし、花は一重なる。よし、八重桜は、奈良の都にのみありけるを、このごろぞ、世に多くなり侍るなり。吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜、またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。

[徒然草 百三十九段]

【意味】
自分の庭の木には、まず、松と桜を植えたい。松は五葉松もよいが、桜は何と言っても一重桜がよい。八重桜は、以前は奈良の都にしかなかったのが、最近は、奈良以外にもあちこちで、多くなったと言われている。けれども、吉野の花も、紫宸殿の「左近の桜」も、みんな一重桜ではないか、八重桜は、普通でない。ひどく、ごてごてして、ねじけている。こんな桜は、庭に植えなくてよい。遅桜もまた、興ざめである。虫が付くのも不快である。

(島内裕子訳 徒然草より転記)

【解説】
段によっては、「だからどうなの」という内容がある。「つれづれなるままに日暮し心にうつりゆくよしなしを」と序段に書いているとおり、書き出しはまず感じるままに書いている。
しかし、そこは兼好、最後にピリット、いやチクリとわさびを利かせている。
それは、次回で


漢字書

【作品】
菩薩(ぼさつ)

【解説】
漢字は「唯一意味をもつ文字」と何度も書いてきたが、今回の「菩薩」は全く意味を持たない、つまり漢字のもつ「音」のみで作られている。
仏教の発生場所はインド、つまり漢字圏ではない。そのため経典(仏の教えを記した書物)は漢語に翻訳されたものが、中国に広まり、それが日本に伝えられたのです。
菩薩はインド(サンスクリット語)では、ボーディサットヴァという。それを漢字の字音で表したのが「菩提薩捶(ぼだいさった)」それを略して「菩薩」。とくに仏教に関するこのようなインド語を梵語(ぼんご)といって、我が日本では平安時代から日本語の一部として取り入れられたのです。


色紙

【作品】
楽しみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

【意味】
楽しみは、朝起きて みて、昨日まで咲いていなかった花が咲いているのを見る時だ

【解説】
クリントン元大統領が日本に来られた際に、スピーチでこの橘曙覧(たちばな・あけみ)の歌を引用し、日本人の文化の素晴らしさを紹介されて、一躍有名になった。「獨楽吟」に「楽しみは」で始まり「とき(時)」で終る52首が収められている。江戸時代末期の福井の詩人である。興味のある方はぜひ全種読まれたらいかがでしょうか、心にしみる歌がありますよ。


条幅

【作品】
采菊東籬下悠然見南山山気日夕佳飛鳥相與還此中有有意欲辨已忘言

[陶淵明]

【読み】
菊を東籬のもとにとり 悠然として南山を見る 山気日せきによく 飛鳥あい ともに還る この中に真意有り べんぜんと欲すれば已に言を忘る

(岩波文庫 中国名詩編 松原茂夫編)

【意味】
「なぜ、そのような静かに暮らせるか」という問いに、私は菊を東のまがきの下に取って、ゆったりと南の山を見るともなく眺める。山に湧くもやは、夕暮れに美しく、飛ぶ鳥はつれだってその山に帰っていく。まことに自然な景色である。その中にこそ万象をおのずから然らしめている真理の趣ごあるように思われる。私はそれを心に悟ったが、ことばに表明しようと思と、もはや言うべきことばを忘れてしまった。概念(ことば)に表せば、現象の奥にある、 形のない真理の意味ではなくなるし、直観で心にこれを会得してしまえば、もうことばなどは必要がないからである。

【解説】
「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される---兎角に人の世は住みにくい」これは夏目漱石「草枕」の冒頭部分である。この世は住みにくいと言っている漱石が、この陶淵明の漢詩に「うれしい事に東洋の詩歌は、そこを解脱したものがある」といって、この詩を紹介している。
「超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持になれる」と


篆刻

【作品】
翰墨游戯

【読み】
かんぼくゆうぎ

【解説】
翰とは筆のこと、筆と墨で書や絵を書いて、風流に一日楽しもうと。
遊印として刻しました。


第十四回ギャラリーを書き終えて

条幅は陶淵明の詩を書きました。陶淵明といえば、この世の楽園として桃源郷を「桃花源記」という書物に書いています。誰でも一度は夢見る楽園を、彼は十代の時に、体験した魚師の話として物語にしている。これは空想の世界ではなく、現在は桃源県と言い、有名な観光地となって実際に自在する場所なのである。その後楽園は、ユートピアやパラダイスとして、脈々として受け継がれているからすごい。この物語を書いたのは、西暦380年から400年頃、日本はまだ古墳時代で国家としての形になっていなかった。最近はいろいろとギクシャクしている両国だが、中国の歴史の奥深さやこのような人を輩出する懐の深さには感服する。

平成28年2月29日