憩いの空間 嶺風の書斎 雲心庵

ギャラリー 第十六回

かな書

【読み】
もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも

[万葉集 巻三・二六四]

【意味】
宇治川の網代木にしばしためらっているこの波は、どこへ流れてゆくのか、ゆくえもわからない

[万葉集 多田 一臣著より]

【解説】
「もののふ」とは「八十」にかかる枕詞である。現代ではオリジナリティとか、著作権といって創作に独自性を重んじるが、万葉集の時代においては、いいものはどんどん利用する・まねるという、今とはまったく価値観の異なる創作の仕方であった。その中に「枕詞」という、不思議な手法がある。単に「山」といわず「あしひきの山」といい、「光」は「ひさかたの光」という決まり文句ではないが、一定の修辞法(飾り)がある。「もののふ」も万葉集で十数首使われている。ただ最初に使ったのが、天才柿本人麻呂であったかは残念ながらわからない


ペン書

【作品】
八つになりし年・父に問いていはく、「仏はいかなるものにか候ふらん」といふ。父がいはく、「仏には人の成りたるなり」と。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へはじめ候ひける第一の仏は、いかなる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりや降りけん、土よりや湧きけん」といひて笑ふ。「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と諸人に語りて興じき

[徒然草 二百四十三段]

【意味】
私が八歳になった年に、父親に問いかけて言った。「私は、仏はどういうも のですか」。すると、父が答えた。「仏には、人間がなるのだよ」と。再び、私 は尋ねた。「人間は、どのようにして、仏になるのですか」と。父は、また答え た。「仏の教えによって、なるのだよ」と。三度、私は聞いた。「教えなさった仏 を、誰が教えになられたのですか」と。また、父が答えた。「それもまた、その 先の仏の教えによって、仏になられたのだ」と。四度、私は問うた。「その教え 始めなさった第一番目の仏は、どのような仏だったのですか」と聞いた時、父 は、「さあて、空から降ってきたのだろうか、土から湧いて出てきたのだろうか」 と言って笑った。「息子に問い詰められて、とうとう答えることができなくなりま した」と、父はいろいろな人にこのことを語っては、面白がった

(島内裕子訳 徒然草より転記)

【解説】
この段をもって徒然草が終っている。それにしても何故この文章を兼好は最後に持ってきたのだろうか。 父との思いでで文章を終えるとは、少年ならいざ知らず、熟年の作家にしてはいささか腑に落ちない。別の執筆に係わるため一旦休み、段取りが付き次第また書き始めようと思っていたのではなかろうか。二百四十三段と中途半端な段で終ったのもそのためではなかろうか。 この項で取り上げた「徒然草」は、これをもちまして一旦休みといたします。


漢字書

【作品】
孝行(コウコウ) [漢字の音読みの課題]

【解説】
「音」には呉音、漢音、唐音がある。漢字は中国でつくられたが、その文字 の発音(音)は、場所や年代によって異なっている。それが日本へそのま ま伝えられた、たとえば「京」を「ケイ」と読んだり「キョウ」と読んだり、中国 に渡った僧、留学生や商人が伝える「音」が、そのまま日本で使われた。 いまとなっては、どうでもよく「京都」を「ケイト」に、「右京区」を「ウケイク」 に呼び換えようなんて誰も言わないだろう。王朝がいろいろ変って現在 の中華人民共和国がある。日本は武家の時代でも天皇は継承され文化 は途切れることはなかった。それを思うと日本の「音」は、本家中国より古 るいのではなかろうか


色紙

【作品】
鴛鴦之契(えんおうのけい)

【意味】
鴛鴦とはオシドリの牡と牝。夫婦仲がよい意味

【解説】
秋は結婚の多い時期、お祝いの色紙として書いてみました。
オシドリは夫婦仲が良くいつも一緒にいることから、お祝いの言葉として使われるようになりました。


条幅

【作品】
一道残陽鋪水中半江瑟瑟半江紅可憐九月初三夜露似真珠月似弓

[白居易]

【読み】
一道の残陽 水中に鋪(し)き 半江は瑟瑟(しつしつ) 半江はくれないなり 憐れむべし 九月初三の夜 露は真珠に似 月は弓に似たり

(岩波文庫 中国名詩編 松原茂夫編)

【意味】
一筋の残陽が水面を射し照らして、大江の半ばは深みどり、半ばは紅い。
まことに愛すべき九月三日の夜、露は真珠に似、月は弓に似ている。

【解説】
瑟瑟とは碧玉の名。ここでは水の碧(あお)く澄んださま。日本に人気のある詩人として、白居易がいる。しかし彼の漢詩は長編が多く、なかなか書の題材を選ぶのに苦労した。日本では平安時代から白楽天として「長恨歌」「琵琶行」など多くの詩が伝えられ、日本の和歌にも影響を与えている。
唐代の四大詩人といえば「李杜韓白」(李白・杜甫・韓愈・白居易)と言われるこの「暮江吟」は、日本の和歌といってもよい。それだけ平安歌人が彼にそそいだ注目度の高さがわかる一句だと思う。


篆刻

【作品】

【読み】
ジュ ことぶき

【解説】
意味は、ながいき。常用漢字では「寿」と書く。現在では結婚祝いの、のし紙・のし袋の表書き等で使用される。どっしり感がでるので長く使われているだろうか。私も「寿」より「壽」と書くことが多い。


第十六回ギャラリーを書き終えて

いよいよ次回から五年目に入る。「かな書」は万葉集から古今集をはじめ幅広く好きな和歌を取り上げて表現したいと思います。もう一点「ペン書」は、四年間徒然草からこれはと思った段を選択してきたが、ペン書は、作品というより、“気楽に文章を書いてみませんか“というコーナーです。このコーナーに新たに「古事記」を取り上げ、日本最古の歴史書を「書き・読み」楽しんでいこうと。最後に「漢字書」は「三体千字文」といたします。三体とは一文字に「楷書・行書・草書」のそれぞれ違った書体で書くことで、千字文とは文字を勉強するため、中国から伝えられた「千字」のこと、来年いよいよ古希を迎える私です、さらなる進化に向かって。

平成28年8月31日